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7月王政でフランス人の王に!ルイ=フィリップ1世~19世紀前半アンティーク金貨の世界~

高価買取専門店こちら買取本舗では、貴金属や金貨を中心に幅広くお買取りしています。

今回はお買取りしているフランス金貨、ルイ=フィリップ1世金貨と歴史について。

フラン金貨にも刻まれた「ROI DES FRANCAIS」。フランスのルイ=フィリップ1世(在位期間1830年~1848年)の内政と外政やフランス市民運動などを中心にお話します。

ルイ=フィリップ1世、王位につくまでは?各国で亡命生活を余儀なくされる

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ウィキペディア(Wikipedia)より画像引用

ルイ=フィリップ1世は、1773年に誕生しました。父はオルレアン公ルイ=フィリップ2世、母は太陽王ルイ14世のひ孫にあたるルイーズ・マリーです。

この年は、天然痘でルイ15世が崩御する前年であり、その息子ルイ16世は後にフランス革命によって王位を追われることになります。

幼少時には当時流行していた啓蒙思想の系譜であるリベラリズム(自由主義)を学んでいます。

その影響で、彼はフランス貴族でありながら、リベラリストの側につき、公爵邸を革命派の会議場として開放していました。

それどころか、ロベスピエールが主導し、フランス革命を起こしたジャコバン・クラブにも入っています。

フランス革命によりブルボン朝が倒された後、オーストリアの介入によってフランス革命戦争が起こると、ルイ=フィリップはフランス軍の兵士としてオランダに出征。

しかし、上官であるシャルル・デュムーリエが戦局の悪化を機にオーストリア軍へ寝返ったことで、ルイ=フィリップも成り行きからオーストリア軍の兵士となってしまいました。

この行動が原因で、彼の父ルイ=フィリップ2世はジャコバン派から裏切り者と見なされ、最終的に処刑されてしまいます。

その後、ルイ=フィリップはスイスへ亡命し、教師として細々と生活を送っていました。さらに彼はドイツ、スカンディナヴィア、アメリカを転々とし、最終的にはロンドンに落ち着くことになります。

ナポレオン100日天下後は?ブルボン朝が再び復活するも…

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ドラクロワ作「民衆を導く自由の女神」 / ウィキペディア(Wikipedia)より画像引用

ルイ=フィリップがフランス国外で亡命生活を送っていた間、フランス国内では共和政府が内部抗争を繰り返し、その結果、政権は分裂し弱体化していきました。

そうした混乱の中で、ナポレオン・ボナパルトがクーデターを起こし政権を掌握。やがて皇帝ナポレオン1世として即位し、フランス第一帝政が始まります。

しかし、第一帝政はわずか10年で崩壊します。ナポレオン1世の失脚を受け、ルイ=フィリップはロンドンからフランスへ帰国しました。

その後、ナポレオンの帝政に対抗していた第六次対仏大同盟の後押しにより、ルイ16世の弟ルイ18世が王位に就き、ブルボン朝が復活します。

ところが、その翌年、イタリアのエルバ島に流されていたナポレオンが突然フランスに帰還。かつての部下たちが次々と寝返ったため、ルイ18世は国を離れ、イギリスへ亡命することとなりました。

再びフランスを掌握したナポレオンでしたが、ナポレオンの復活を認めない連合国と対峙したワーテルローの戦いで敗北し、最終的にイギリスに投降します。

こうして、ナポレオンの復活はわずか100日足らずで幕を閉じました。

イギリスは彼を南大西洋のセントヘレナ島に追放し、ナポレオンはその孤島で生涯を終えることになります。

フランスではルイ18世が再び王位に就き、ブルボン朝は二度目の復古を果たしました。しかし、国内では依然として複数の派閥が対立を続け、政治は不安定なままでした。

ワーテルローの戦いでの敗北により、フランスは領土の縮小と多額の賠償金支払いを余儀なくされ、こうした国民の不満は次第にルイ18世へと向けられるようになります。

ルイ18世の死後、王位を継いだシャルル10世は、議会とたびたび対立しました。

言論弾圧や旧貴族を優遇する政策は国民の反感を招き、さらに経済政策の失敗も重なって、民衆の怒りが爆発。1830年、ついに七月革命が勃発し、ブルボン朝は再び打倒されることとなりました。

この七月革命は、資本家階級であるブルジョワジーによって主導されたものでした。

ルイ=フィリップは、この革命のさなか、巧みにブルジョワジー側に与し、その支持を得ることで新たな政権の担い手となっていきます。

そして、ルイ=フィリップは、議会を掌握していた自由主義者=ブルジョワジーの支持を受けて王に推戴されました。

こうして、フランス最後の王朝となるオルレアン朝が成立します。

この王政は、1830年の七月革命によって誕生したことから「七月王政」と呼ばれています。

7月王政でルイ=フィリップ1世が即位・オルレアン朝成立。 発行された金貨は「ROI DES FRANCAIS」

広義の意味で「ナポレオン金貨」とは、ナポレオン1世の治世に限らず、19世紀から20世紀にかけてフランスで発行された金貨全般を指します。

したがって、ナポレオン国王の金貨だけでなく、他の君主時代の金貨も含まれます。

ルイ=フィリップ1世の時代に発行されたナポレオン(フラン)金貨もそのひとつで、彼の在位期間である1830年から1848年の間に鋳造されました。

流通貨のフラン金貨は発行枚数が多いため比較的プレミア価値が薄く、地金価値相当で取引されるコインが多いのが一般的ですが、未使用品・美品など状態がよいものはプレミアがつく場合がございます。

デザインの特徴の一つは、表面に刻まれている言葉です。表面は歴代の国王と同じくルイ=フィリップ1世の右向きの肖像が描かれていますが「ROI DES FRANCAIS」という文字が書かれています。

これは〝フランス人(国民)の王"という意味で、それまでは「ROI DE FRANCE」と記されており〝フランス王"という意味でした。

革命期で混乱しているフランスで絶対主義を連想される言葉をさけ、立憲君主制の王として君臨したことをコイン上でも宣言したのでした。

立憲君主制の下、国政を行うも市民革命の2月革命が終息せず、退位して第二共和政がはじまりますが、それまでルイ=フィリップ1世のナポレオン金貨は発行されます。

ルイ=フィリップ1世の治世下で発行されたナポレオン金貨は、額面20フラン金貨と40フラン金貨の2種類のみでした。しかしながら、これ以外にも存在が確認されているものがあります。

ひとつは、発行には至らなかった額面100フランの試作金貨、そしてもうひとつは、本来は銀貨として発行されるはずだった1フラン金貨を金で打った試鋳金貨です。

とりわけ100フラン金貨は極めて希少であり、市場では数百万円以上の価値があるとされています。

試鋳金貨の中でも、プルーフ仕上げのアンティークコインには高いコレクション価値がありますが、特にこのコインのように「パターン貨」として一度も公式に出回らなかったものは、さらに特別な存在です。

フランスの産業革命始まる、国外対策は順調も内政にたいしては「株屋の王」。ブルジョワジー優遇で2月革命が勃発!

フランス王となったルイ=フィリップ1世は、ブルジョワジーの代弁者として経済政策を推進。

彼の治世下では、イギリスに約70年遅れて産業革命がフランスにも波及し、経済の近代化が進められました。

対外政策:拡張と武力介入

ルイ=フィリップは外交・軍事面でも積極的な姿勢を見せました。

前王シャルル10世の時代に始まったアルジェリア侵略を完了させ、同地を正式にフランスの植民地とします。

このアルジェリア遠征では、フランス人兵士の損失を減らす目的で、現在でも名高いフランス外人部隊が創設されました。

また、1838年の「菓子戦争」では、メキシコ内戦中に現地のフランス人菓子職人が略奪被害を受けたとの訴えを口実に、軍事介入を実施。

フランス軍は優勢に戦いを進め、最終的にはイギリスの仲介によりメキシコから多額の賠償金を引き出しました。

さらに、アヘン戦争で清がイギリスに敗北したのを受けて、フランスも通商交渉に乗り出し、1844年に清と黄埔条約を締結。これにより、清との不平等な通商関係を確立しました。

国内情勢:ブルジョワ政治と民衆の反発

一方、国内ではルイ=フィリップはブルジョワジーのみを優遇し、選挙権も彼らにしか与えられていませんでした。

このため、大衆からは「株屋の王」と揶揄され、次第に不満が高まっていきます。

産業革命の進展により、資本家層の下には新たにプチブルジョワジー(中間層)と、工場労働者などのプロレタリアート(労働者階級)が形成されました。

彼らは選挙権の拡大を求めて声を上げましたが、政府はこれを弾圧し続けました。

そのうえ、1840年代にはジャガイモ疫病がヨーロッパ中に広まり、ジャガイモや小麦などの物価が高騰。庶民の生活は困窮し、社会全体が不安定になっていきます。

崩壊の引き金:2月革命の勃発

こうした中、政府が選挙権拡大や政治改革を訴える「改革宴会」と呼ばれる集会を禁止したことで、ついに民衆の怒りが爆発します。

1848年、ブルジョワが主導した七月革命とは性質の異なる、プロレタリアートと社会主義者が中心となった「二月革命」が勃発しました。

ルイ=フィリップ1世は首相の更迭によって事態の鎮静化を図りましたが、民衆の怒りは収まらず、ついに退位してイギリスへ亡命することになります。

この革命によってフランスの王政は完全に終焉を迎え、オルレアン朝が最後の王朝となりました。

フランスは新たに社会主義的色彩を持つ共和制へと移行し、ルイ=フィリップ1世は亡命先のイギリスでその生涯を終えました。

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ルイ=フィリップ1世の治世についてお話しました。

国王専制政治と共和制政治が入り混じる19世紀半ばのフランス。ブルジョワジーに推挙され7月革命により王位についたルイ=フィリップ1世でしたが、労働階級の民衆が中心となった2月革命で王位を退くことになります。

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