「船乗り王」と慕われた国王、ウィリアム4世 ~英国の歴史と金貨~
1707年、イングランド王国とスコットランド王国が統合され、「グレートブリテン王国」が誕生しました。これが、現在のイギリス連合王国(United Kingdom)の基盤となります。
当時、王として国を治めていたのはアン女王です。
その後、1714年にジョージ1世がグレートブリテン王国の第2代国王として即位し、王朝はステュアート朝からハノーヴァー朝へと移り変わります。
本記事では、ハノーヴァー朝の国王の一人、ウィリアム4世に注目します。ジョージ3世の三男であり、兄であるジョージ4世の死後、65歳という高齢で王位を継承しました。
国民に親しまれたウィリアム4世の生涯と、彼にちなんだ金貨についてご紹介します。
父ジョージ3世は子宝に恵まれていた!ウィリアム4世の出生は?
ウィリアム4世(本名:ウィリアム=ヘンリー)は、ジョージ3世の三男として1771年に誕生しました。ジョージ3世は15人もの子どもに恵まれ、ウィリアムはその中のひとりです。
三男という立場から、王位継承の可能性はありながらも現実的には低く、兄たちほど期待をかけられることはありませんでした。
そのためか、ウィリアムは比較的自由な環境で育ち、奔放な性格が形成されていきます。
「船乗り王」といわれていた海軍時代
ウィリアム4世は、王族らしからぬ経歴を持つ人物として知られています。彼が「船乗り王」と呼ばれるのは、若い頃に海軍に入隊し、実際に海戦を経験していたからです。
13歳で士官候補生として海軍に入隊し、アメリカ独立戦争の際にはニューヨークで勤務していました。
1785年に士官となり、翌年には軍艦「ペガサス」の艦長に就任。ニューファンドランドやハリファックスなどを訪れています。
その後は西インド諸島での勤務も経験し、1789年には海軍少将に昇進。同年には「クラレンス公」の爵位を授けられました。
王族でありながらも実力で地位を築いたウィリアムは、25歳という若さで退役します。
このスピード出世は、彼の有能さと好奇心の強さを物語っています。また、海軍で培った胆力や人間性は、後の王として国民から愛される要因となりました。
その実績が認められ、1827年には海軍司令長官に任命されるなど、晩年まで海軍との深い関わりを持ち続けた人物です。
王族でありながらこだわらない?一途な恋と特異な結婚事情
ウィリアム4世の私生活、とくに結婚にまつわるエピソードは、王族としては異例のものでした。それはまさに「身分違いの恋」と言えるでしょう。
当時の王族は複数の愛人を囲うことが珍しくありませんでしたが、ウィリアム4世はアイルランド出身の女優ドロテア・ジョーダンという一人の女性を深く愛し、なんと20年以上にわたって同棲生活を送りました。
王室の正式な結婚には枢密院の承認が必要であり、あえて形式にこだわらなかったのかもしれません。
周囲もウィリアムのこの関係を比較的寛容に受け入れていたようで、ふたりは事実上の夫婦として生活をともにし、間には10人もの子どもが誕生しました。
46歳で彼女と別れることになりますが、子どもたちはすべてウィリアムが引き取っています。
その後、ウィリアム4世はザクセン=マイニンゲン公ゲオルク1世の娘、アーデルハイト(イギリス名:アデレード)と正式に結婚します。
ふたりの年齢差は27歳。ウィリアムはお酒好きで、離婚歴があり、すでに10人の子どもを持つ立場。一方のアデレードは敬虔で育ちの良い女性でした。
この結婚に周囲は不安を抱きましたが、ふたりは予想に反して非常に仲睦まじく、穏やかな夫婦生活を送りました。
年齢の影響や、アデレードの存在に感化されたのか、ウィリアム4世は次第に飲酒量を減らし、公の場での発言にも配慮するようになったと伝えられています。
ただし、アデレードとの間に生まれた子どもたちは、いずれも幼くして亡くなっており、ウィリアム4世の血を引く子孫が王位に就くことはありませんでした。
戴冠式にもこだわらない!65歳でイギリス国王に
1830年、兄ジョージ4世の死にともない、ウィリアム4世は65歳でイギリス国王に即位しました。
当時の平均寿命を考えると、これは極めて高齢での即位であり、英国王室史上でも稀なケースとされています。
高齢での継承は、治世の短命化や王位の頻繁な交代といった不安要素をはらんでおり、当時の王室が抱える複雑な事情を物語っています。
ジョージ4世には子どもがいなかったため、本来であれば次兄フレデリックが継承するはずでしたが、すでに他界していました。
このままでは、王位はまだ幼いヴィクトリアへと引き継がれることになります。
ウィリアム4世は、ヴィクトリアの母であり後見人でもあったケント公爵夫人を快く思っておらず、「ヴィクトリアが成人するまでは死ねない」と公言していたほどです。
この思いが、王位を引き受ける動機の一つだったとも言われています。
また、ウィリアム4世は「自分の意思を貫く」性格でも知られており、即位にあたって「戴冠式などどうでもいい」と発言し、周囲を驚かせました。
結局、戴冠式は地味で簡素な形で行われることになります。在位期間は7年間と短いものでしたが、逸話の多い個性豊かな国王として記憶されています。
希少!ウィリアム4世金貨、5ポンド金貨は試鋳金貨のみ?
ウィリアム4世が即位した翌年、1831年には即位記念としてソブリン金貨が発行されました。
彼の治世中である1831年から1837年までのわずか6年間のみの発行であったため、現存するウィリアム4世の金貨は非常に希少です。
この金貨は、1817年に始まった新しい金本位制に基づき、従来のギニー金貨に代わるものとして鋳造された新ソブリン金貨です。
ちなみに「ソブリン」とは「君主」を意味し、旧ソブリン金貨は王が玉座に座る姿を描いたものでした。
さらにその前には、1604年ごろに発行されたユナイト金貨があり、こちらは王の横顔がデザインされています。
さまざまな金貨が存在したため、それらを統一する目的でギニー金貨が誕生し、さらに現代的なソブリン金貨へと移行していきました。
ウィリアム4世の金貨には、1ポンド、2ポンド、そして幻の5ポンド金貨があります。
特に5ポンド金貨は試鋳金貨(パターンコイン)として、わずか10枚ほどが作られたとされており、市場に出回ることはほとんどありません。
そのため、一般の収集家や投資家の間では2ポンド金貨が主流となっています。
金貨のデザインは、表面にウィリアム4世の横顔肖像、裏面にはイギリス王室の紋章をあしらった盾と王冠が描かれています。材質は純度91.7%(K22)の金です。
また、即位を記念して発行された戴冠メダルも存在します。こちらも表面にはウィリアム4世の横顔が刻まれていますが、裏面のデザインは発行年ごとに異なります。
特に1831年発行の戴冠記念メダルは、「ウナとライオン」で知られる名彫刻家ウィリアム・ワイオンの手によるもので、美術的価値も非常に高い逸品です。
63年続くヴィクトリア朝に貢献する形に。7年間の国王時代
王族としての時間よりも、一般市民としての生活が長かったウィリアム4世は、質素倹約を旨とする姿勢を貫きました。
その控えめな生活ぶりは、派手さを好む一部の貴族から「下品」と揶揄されることもありましたが、海軍で鍛えられた彼はそのような批判にも動じることなく、ウィットに富んだ対応で乗り切りながら公務を果たしました。
国王となってからも、侍従を連れずにロンドン市内を自由に歩き回ることが多く、市民が街角で国王と出会うということも珍しくありませんでした。
ウィリアム4世は、道で出会った市民に笑顔で声をかけたり、握手を交わしたりと、気さくな姿勢を貫いたため、国民からは「親しみやすい国王」として大いに慕われていました。
大きな時代の転換期に即位した「橋渡し」の王
ウィリアム4世の治世は、ちょうどイギリスが産業革命へと大きく舵を切った過渡期にあたります。
この時期には、救貧法の整備、地方自治の民主化、児童労働の制限、奴隷制度の廃止、さらには選挙制度の改革といった、現代にも通じる重要な制度改革が次々と実現されていきました。
政治への直接的な干渉はほとんどしなかったウィリアム4世ですが、一度だけ議会の意向に反して首相を任命したことがあり、これはイギリス国王が議会の意思に反して首相を指名した最後の例として記録に残っています。
静かに去った王、そして次代へのバトン
在位から約7年後、ウィリアム4世は肝硬変のため崩御しました。若い頃からの酒量が影響したとされています。
彼が歴史的に高く評価されている理由のひとつに、後継者であるヴィクトリア女王の治世を支える「橋渡し役」となったことが挙げられます。
もしもウィリアム4世が王位継承を拒んでいたり、在位がさらに短ければ、幼いヴィクトリアは未成年のまま即位し、母やその側近の強い干渉を受けていた可能性が高かったでしょう.
ウィリアム4世の存在が、ヴィクトリア女王による安定した統治の土台を築く一助となったのです。
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いかがでしたでしょうか?ウィリアム4世の半生とウィリアム4世の金貨やメダルについてお話をしました。
ウィリアム4世の治世下では、金貨だけでなくさまざまな銀貨も発行されました。クラウン銀貨(戴冠式の贈呈用)、シリング銀貨、ペニー銀貨(いずれも流通用)などが存在します。
中でもクラウン銀貨は、プルーフ貨または試鋳貨として極めて限られた数量しか作られず、発行枚数はおよそ100枚と非常に希少です。
また、イギリス本国のみならず、1835年には英領インドにて東インド会社発行のモハール金貨も鋳造されています。表面にはウィリアム4世の横顔、裏面にはライオンとヤシの木が描かれた美しいデザインです。
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