旧紙幣・古紙幣の価値や買取価格などお札にまつわる情報をお届け!


古紙幣の歴史を解いていくと、古くは1600年代にまで遡ります。それぞれの時代でデザインやサイズなども変化しており、コレクションして楽しむ人も少なくありません。ただ、古紙幣の価値は希少度などによって買取価格が異なります。今回は、古紙幣に注目してどのようなものがあるのか、高価買取してもらうためのコツなどさまざまな情報を紹介します。

旧紙幣・古紙幣とは?


古紙幣とは、旧紙幣よりさらに古いお札を指します。旧紙幣は、すでに発行停止になっているお札のことで、法令に基づく特別措置がとられていなければ使用可能です。一方、古紙幣はお金として使用することはできません。

そのため、コレクション要素が強い紙幣と言えます。ただ、歴史が古いお札であるほど紙質が良い状態とは言えないため、劣化しやすいのが難点です。つまり、丁寧に保存されていて傷みが少ないものは、それだけ価値が高くなります。

かつては、大判・小判といった貨幣が主流で使用されていましたが、その結果、原料となる金属が不足する事態となりました。そこで誕生したのが、原料費が安く持ち運びしやすい軽さの紙幣だったと言われています。

古紙幣のなかには、同じ種類であっても文字の書体違いやデザイン違いなどもあり、そういったものはより価値が高くなる傾向です。通常のデザインの紙幣と比較してレア度が高いということで、プレミア価格がついている古紙幣もあります。

とくに、発行した年代が古いもの、発行枚数が少ないものなどは手に入れることが困難となるため、プレミア価格となり通常紙幣の10倍で買取されるケースも珍しくありません。

古紙幣は、紙幣の認知度や理解が低かった時代もあったため、どのようなものが良いのかの評価が日々変化してきました。結果的に、紙幣が全国に浸透し、国民が安心して使用できるまで、さまざまな紙幣が誕生しました。


古紙幣の歴史


古紙幣の歴史は1600年、関ケ原の戦いの頃に伊勢(三重県辺り)の商人たちの間で作られた「山田羽書」が最初の紙幣だったと言われています。

その後、1661年頃からは各藩において貨幣の代わりとして利用できる「藩札」が製造されるようになりました。藩札は、貨幣の代わりだったこともあり、「金札」「銀札」「銭札」といった呼ばれ方をしていたと伝わっています。

ただ、この藩札は各藩でデザインもサイズも異なるものであり、紙幣の価値の信頼性に不信感を抱いた領民による一揆が起こる事態になってしまいました。

1868年、廃藩置県で江戸幕府から明治政府に変わり、藩札は使用禁止となっています。この際、明治政府が日本で初めて全国共通の「太政官札」を発行しました。

しかし、2年後の1870年頃には偽造紙幣が出回るようになったため、1872年、ドイツに依頼していた新紙幣「ゲルマン紙幣」を発行するようになりました。ゲルマン紙幣は、それまで日本になかった紙幣の偽造防止技術が取り入れられています。

その技術とは、主な模様を黒色で凹版印刷し、地紋を青色インクで凸版印刷するというものでした。さらに、1873年には、アメリカに依頼していた国立銀行紙幣(旧券)が発行されています。

1881年には、現状発行されている紙幣のように肖像画が取り入れられるようになりました。初めて取り入れられた肖像画は、神功皇后です。1885年、日本銀行兌換銀券が発行されました。

このときは、大黒天の肖像画が取り入れられており、人気のお札となったことは有名です。大日本帝国憲法が公布された1888年、歴史上の有名人物である菅原道真や藤原鎌足などの肖像画を取り入れた改造兌換銀券が1891年頃にかけて発行されています。

1891年に発行された改造100円券は過去最大のサイズで、縦13cm、横21cmもありました。そして、1899年、金本位制が導入されるようになり、「日本銀行兌換券」が発行されています。

通常の紙幣のほかには、戦争時に使用されていた特別なお札である軍票(軍用手票)もありました。戦争時は、日本以外の国で物資の調達をしたり給料の支払いをしたりする必要があります。

そこで、当時日本政府が発行した共通の紙幣が軍票でした。ただ、軍票は終戦後に多くのものが無価値となっています。軍票が使用されていたのは、ビルマやオセアニア地方、フィリピン、マレー、中国などです。

とくに、中国では7種類ほどの軍票を発行し、使用していました。


旧紙幣の歴史


明治以降に発行された日本の旧紙幣について詳しく説明していきます。

日本の紙幣の歴史は、明治時代から現代にかけて、さまざまな額面とデザインの変遷を経ています。 旧紙幣とは明治時代以降に流通し、現在発行が停止された紙幣のことです。 聖徳太子の壱万円札や五千円札、伊藤博文の千円札、板垣退助の百円札などが記憶にあると思います。

旧紙幣はいつまで使用できるのか?今も使えるのか?という疑問があると思いますが、現在でも使用可能な紙幣は数多く存在し、日本銀行が2019年までに発行した全53種類の紙幣のうち22種類が現在も使用可能です。

とはいえ、実際にお店で旧紙幣を使用するのは厳しいのが現状です。その場合、銀行などの金融機関で額面通りの金額で交換することができます。しかし、その現在も使用可能な旧紙幣のなかに額面を超える額の価値のある紙幣が存在します。

初期の紙幣(明治時代-大正時代初期

明治時代に日本政府で初めて紙幣が発行され、その後もさまざまな額面が追加されました。このときの紙幣は非常にシンプルで、日本の歴史上重要な人物の肖像が印刷されていました。大正時代には紙幣のデザインを精査。美術的な要素が強調され、美しい風景や伝統的な文化が描かれるようになりました。

昭和(1926年-1989年)

昭和初期の1927年(昭和2年)。関東大震災後の経済混乱で銀行破綻の情報が流れたことにより、人々が預金の引き出しに殺到する騒ぎが起こりました。日本銀行は各銀行に融通する紙幣が必要になり、急遽紙幣の発行を決めました。

全国にある銀行の臨時休業中の2日間で新紙幣を製造することになりました。通常の印刷では間に合わないため、表面はオフセット印刷による彩紋の図柄のみ、裏面は印刷を省いた白紙の状態で製造しました。

結果、不眠不休の作業の末、紙幣不足危機は回避されたのです。昭和中期には高額面の3種類の紙幣が発行され、経済の安定と発展を支えました。一万円札、五千円札、千円札が存在し、日本文化や歴史に関連するデザインが多く取り入れられています。

1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)にかけて、戦時中の資金調達のために急いで増刷された「軍票」と呼ばれる特殊な紙幣も発行されました。 昭和後期には、デザインがより近代的に変化しました。紙幣には日本の歴史上の人物や文化的な要素が反映され、セキュリティ対策も強化されました。

平成(1989年-2019年)

平成には従来のデザインに変更が加わり、新紙幣として2,000円札が発行されました。小野小町と紫式部が描かれており、10,000円札には福沢諭吉の肖像が使用されています。これらの紙幣は、日本の歴史や文化を反映し、美術的な要素を含んでおり、紙幣の発行技術の進化が見て取れます。

令和(2019年-現在)

2024年(令和6年7月)に偽造防止などを目的に、一万円札、五千円札、千円札の3種類のデザインが一新された紙幣が発行される予定です。一万円札は現行の福沢諭吉から渋沢栄一に、五千円札は樋口一葉から津田梅子に、千円札は野口英世から北里柴三郎にそれぞれ変わります。

新紙幣には、世界で初めてとなる最先端ホログラム技術が導入され、紙幣を斜めにすると肖像が立体的に見えます。「すかし」の部分は、肖像を映し出すのみではなく、紙の厚みを細微にし、精細度の高い模様を作り上げています。

また、視力の弱い人などにも判別しやすいよう数字のサイズを大きくし、触って紙幣の種類を識別できるよう、凹凸をつけるなどの工夫もされています。

冒頭でも説明しましたが、旧紙幣・古紙幣は額面よりも高い額で買い取ってもらえることがあります。 旧紙幣のなかには現行紙幣も多く、そういった旧紙幣は額面での買い取りとなるのが基本です。 紙幣にはアルファベットと数字が組み合わさった番号が印刷されています。

印刷されている紙幣番号が1番・ゾロ目・キリ番・階段などの場合、紙幣の価値は一気に高騰し、高額買取が期待できます。 また、エラー紙幣(印刷ミス・印刷ズレ・耳付き・記号違い等)は額面の100倍以上の価値がつくことがあります。

「AA券」や「ZZ-Z券」はプレミアが付くことで有名です。 AA券とは「A111111A」というようにAで始まりAで終わる番号の紙幣です。市場に出回ることはほぼないため、非常に価値の高い紙幣となります。 ZZ-Z券とはAA券とは逆に「ZZ564987Z」というようにZで始まりZで終わる番号の紙幣です。最後に製造された紙幣がZZ-Z券です。ZZ-Z券はAA券ほど高値ではありませんが、額面以上の価値はあります。


旧紙幣・古紙幣紹介


江戸時代ごろに製造されていた藩札は、木版印刷(幕末頃には銅板印刷)されたごくシンプルな作りでした。和紙を使用しており、厚手のものであれば1枚、薄手のものであれば2枚以上を貼り合わせたものになっています。

短冊形で、色は白を基調としており、金額別に色紙を使用したタイプもありました。お札の表側には、金額や発行年月、発行主体者、札元などを記載、裏側には正貨との引換する際についての文章が記載されています。

種類は、金札、銀札、銭札の3つです。金札は、両・分・朱、銀札は貫・匁・分、銭札は貫・文と交換できました。最初に作られた藩札は、越前福井藩札だったと言われています。

明治時代の明治通宝(ゲルマン紙幣)は、ドイツに依頼して発行されたお札で、10銭~100円まで9種類の紙幣が存在していました。改造紙幣と呼ばれていた神宮皇后1円札は、日本初の肖像画入りお札です。

その後、新国立銀行券が発行されるようになりました。新国立銀行券は水兵1円、かじや5円があります。1円札は水兵、5円札は鍛冶の様子が描かれているのが特徴です。また、大黒札の愛称で知られている旧兌換銀行券の大黒1円や、改造兌換銀行券の分銅5円、甲号兌換銀行券の裏猪10円などもあります。

とくに、新国立銀行券は当時8種類の金額を発行する予定でしたが、実際に製造されたのは1円と5円のみです。新国立銀行券は、古い紙幣のなかでもとくに人気のある紙幣となっています。

明治時代までの紙幣は1円、5円、10円、20円と4種類のみでしたが、大正時代になってからは銀の不足で銀貨を製造するのが困難になりました。そのため、10銭や20銭、50銭を紙幣として発行しています。

ところが、これら「銭」の紙幣については世間になじまなかったという理由で、発行されていたのはわずか6年間でした。銭の紙幣は、発行年の1917年のものが高価値とされ、高価買取されています。

なお、昭和時代からの紙幣は買取してもらえるものが多い傾向です。

1927年には、金融恐慌が起こり、非常事態の回避を目的として裏面を印刷しない乙武100円券が発行されています。さらに、1942年から太平洋戦争が勃発し、1945年にかけて兌換文字をなくした新紙幣のい号券、ろ号券が登場しました。

太平洋戦争が終結後の1945年、金融緊急措置令の公布と同時にA券が発行され、1984年にかけてB券、C券、D券が次々と発行。1885年に発行された旧1円券、い1円券などから1984年発行のD券までは、すでに発行停止状態です。

ただ、これらの紙幣については旧紙幣として取り扱われており、お金としての価値は法的にまだあります。つまり、ショッピングにも額面通りの金額として利用可能です。


旧紙幣・古紙幣を高価買取してもらうには?


「古紙幣を高価買取してもらうには?」と疑問に感じたときは、できるだけ早く鑑定してもらうのがおすすめです。古紙幣は、紙質が丈夫ではないため、保存状態を良好にしておくことが重要と言えます。

高価買取してもらうためには、破損がないものや色あせしていないものがポイントです。古紙幣に触れたり、日光や照明に当たったりすると劣化が進んでしまうため、紙幣の状態が良いうちに価値を知っておくのが大切と言えるでしょう。使用されていないお札は、さらに価値が高くなります。

ただ、お札をできるだけきれいな状態にしようと自分でお手入れをするのは避けたほうが無難です。汚れを取ろうとして擦ると印刷が薄れたり、傷がついたりする可能性があります。

そうなると、希少性が高いお札でも価値が下がってしまう可能性が高いため、もったいないです。古紙幣の場合、歴史を感じる汚れに価値がつくケースもあるため、あくまでも保存環境に気をつける程度にしておくほうが良いと言えます。

また、紙幣番号に注目することも重要です。例えば、「紙幣番号がぞろ目」「12345と数字が階段状になっている連番」などの古紙幣は、希少性が高いため、高価買取されています。

ほかにも、いわゆるキリ番、1000000のように2番目以降の数字が0でそろっているお札も希少性が高く高価買取の対象です。また、紙幣番号の000001番は「1番数字」と呼ばれており、通常では手に入れることができません。

なぜなら、1番数字のお札は最初に発行されたものであり、貨幣博物館が所有しているからです。もし、1番数字のお札を手に入れることができたとしたら、何らかの事情があって世に出回ったものとなるため、希少度はかなり高いと言えます。

耳付き紙幣もレア度が高く、高価買取されているものです。お札は、発行した際に規定サイズにカットしなければなりません。しかし、耳付き紙幣は、カット段階で部分的に紙が残っている状態です。

大量に紙幣を発行するため、そういったエラー紙幣も出ると感じる人もいるかもしれませんが、実際には多くありません。

仮に、紙幣のカット段階で耳付き紙幣があったとしても、担当者がそれを確認した際に耳部分をカットするなど、何らかの対処をしています。つまり、耳付き紙幣が世に出回っていること自体がほとんどありません。

もし、誰かから譲られたり、遺品として残されていたりした古紙幣の場合は、すでに鑑定された可能性もあります。そういった場合は、買取してもらう際に鑑定書や紙幣を保存しておくケースなども持っていくのがおすすめです。

鑑定書は、その紙幣の価値を保証するもので、ケースに入っていればきちんと保存していたことがわかります。


旧紙幣・古紙幣の現在の価値は?


古紙幣の現在の価値が気になる人も多いのではないでしょうか。古紙幣のなかには、買取価格が数百万円になるものもあります。自宅に価値が高い古紙幣がある場合は、まず見積もりを出してもらうのがおすすめです。

具体的には、旧国立銀行券の10円、20円はとくに価値があるとされており、状態が良いものであれば500万~600万円ほどの買取価格が提示されています。

また、日本銀行兌換券の200円(裏側が白いもの)も400万円前後で買取価格が提示されており、高価買取対象です。

旧兌換銀行券10円(大黒10円札)や甲号兌換銀行券100円(万葉記号)などは前述した古紙幣よりは安くなるものの、100万~150万円ほどの価値があるとされています。ただ、同じ旧兌換銀行券であっても、5円(裏大黒5円)は45万円ほど、1円(大黒1円札)は4万円ほどです。

甲号兌換銀行券も、同じ100円であってもアラビア記号札は45万円程度での買取となっています。額面が同じだったとしても、デザインによってその価値は半分以下に下がってしまう可能性もあることがわかるのではないでしょうか。

また、同銀行券の5円前期のものは7万円、5円後期は12万円ほどが相場となっています。10円前期は12万円、10円後期は15万円です。

明治時代にドイツに依頼して発行したゲルマン紙幣(明治通宝)は、金額によって価値が異なります。ゲルマン紙幣の20銭は8,000円前後ですが、10円は15万円ほど、5円は25万円ほどの買取価格です。

10銭、1円、2円については数万円程度で買取されています。江戸時代に登場した藩札は、歴史的な面でいえば高い価値がありますが、買取価格面で見ると2万~5万円前後です。

なかでも買取価格が高いのは、デザイン性に価値があると判断されている和歌山藩札で相場は5万円ほどとなっています。次に相場が高いのが峰山藩札で4万円ほどです。こちらは、峰山藩が小規模の藩であり、発行枚数自体も少ない点が買取価格に影響しています。

軍票で高価買取されているのは、1918~1920年まで出兵していたシベリアでの軍票である金5円や金10円です。こちらは、紙幣の状態にもよりますが約30万~40万円で買取されています。

次に、日露戦争時の軍票銀10円の買取相場は28万円前後です。中国の青島に出兵した際の軍票は銀紙幣ですが、銀10銭や20銭は約6万~7万円、銀1円は15万円前後、銀50銭は10万円ほどでの買取がされています。


旧紙幣・古紙幣を高額買取してもらうには保存状態が重要


古紙幣といっても種類が豊富にあり、買取の金額差が大きなものでは、10倍もの差がついているものもあるほどです。高価買取してもらうには、保存状態が良好であることが重要といえます。

古紙幣の紙質は、丈夫ではないため、触れたり日光や照明にあたったりすることで傷んでしまうケースも少なくありません。古紙幣を見つけたときには、丁寧に扱い、できれば早めに専門家に価値を見てもらうのがおすすめです。









メールフォームで無料査定

LINEで無料査定

ページトップに戻る

記念硬貨や金貨、古銭などの貨幣・古紙幣の買い取りは、こちら買取本舗の貨幣買取専門サイトの金貨買取本舗でも同じサービスをご利用いただけます。金貨買取本舗では基本買取額の掲載も行っております。

金貨買取本舗

金貨買取本舗で価格をチェック

記念硬貨・金貨の買取品目一覧