シャネルの歴史

 

世界中の女性から絶大な支持を集めるラグジュアリーブランド、シャネル。
服以外にも、化粧品や香水など幅広く展開しています。黒を基調とした色使いや、レディース商品へのこだわりから、ほかのハイブランドとは一味違った印象を抱きます。
なぜ、シャネルにはそのような特徴があるのでしょうか?
今回は、シャネルの歴史について紐解いていきたいと思います。

ココ・シャネルの誕生

実はシャネルの本名は「ガブリエル・シャネル」と言います。
彼女は幼くして母親を亡くし、父に捨てられ、その後姉とともに修道院に預けられます。
修道院で裁縫を学び、女学校を卒業した後に洋品店に就職。
女学校で得た知識と技術を用いて働きながら、キャバレーで歌う副業を行っていました。
そこで付いたあだ名が「ココ」。こうして「ココ・シャネル」が誕生したのです。

デザイナーになるまで

キャバレーでの仕事では思うように人気が出ず、シャネルはステージを降りることを決意。
そして、お金持ちの男性と一緒に暮らすようになりました。
男性の家にやってくる女性を見て、彼女はあることに気づきます。

「女性の帽子が機能的ではない」という点です。

当時の帽子は、華やかさばかりが目立つデザインで機能性はイマイチ。
そこでシャネルは、装飾を最低限にしたシンプルな帽子が作りたいと思ったのです。

1909年、出資を得て帽子の専門店「シャネル・モード」を開業。
女性用の帽子を販売すると、パリの女性たちの間で瞬く間に人気が出ました。

次々と新店をオープンし、帽子だけでなく服のデザインにも着手します。

ファッション業界への進出

シャネルは1916年に「第一回オートクチュールコレクション」を発表。シンプルで機能性の高い服が話題を呼びました。
なかでも注目を集めたのはジャージ素材のドレスでした。
このドレスが人気になった理由には時代背景が絡んでいます。
当時、フランスは第一次世界大戦中。男性の労働力が不足し、女性の働き手が求められていました。
しかし女性のファッションといえば、足元まで広がる大きなドレスや腰を細く見せるコルセットなど、働くことを想定していないデザインのものばかり。
そんななか登場したシャネルのファッションは、シンプルで実用性が高く、働く女性から高い人気を得ました。

香水の発表

1921年にはシャネル初の香水「シャネルNo.5」を発売。
新しい香りでファンの間で評判になりました。
当時、女性の香水に使われていた香りは2種類のみ。
「単一の花の香り」か「ムスクかジャスミンを使用した香り」です。
シャネルはこの状況を見て、「現代女性にふさわしい新たな香りが必要だ」と考え、調香師のエルネスト・ボーに調香を依頼。

試作品の小瓶には番号が振られ、シャネルが気に入った香りが5番目の瓶だったことと、5月5日に発表することから付けられた名前が「No.5」。
シャネルは幼少期から、「5」という数字に純粋で神秘的な魅力を感じていました。
育った修道院の廊下には5のモノグラムが刻印されていたり、庭には5弁の花を持つゴジアオイが咲いていたり。彼女は5という数字に不思議な縁がありました。

マリリンモンローが使用していたというエピソードもあり、現在No.5は女性の憧れの香水として人気です。

シャネルが世に広めたアイテム

ウエストラインが緩く、直線的なネックラインが特徴的なリトルブラックドレス。
現代では定番となったファッションですが、これを一般に広めたのはシャネルでした。
1920年代のドレスは、派手な飾りの付いた豪華なデザインのものばかり。
また、黒のドレスは喪服か使用人の制服にしか使われていませんでした。
ファッションの色使いに、ブラックは存在していなかったのです。
シャネルがリトルブラックドレスを発表すると、世界中からさまざまな反応がありました。
アメリカの『ヴォーグ誌』から賞賛される一方で、他のメディアからは「女性らしさがない」という批判をされました。

このドレスが人気になったのは時代背景が関係しています。
1930年代は世界恐慌のため、女性たちは手ごろなファッションを必要としていました。
このドレスはシンプルなデザインのため容易にコピーが可能で、誰でもシャネル風のリトルブラックドレスが買えるようになったのです。
ファッションは特権階級だけのものではない、というシャネルの信念を感じます。

また、1924年には世界初のコスチュームジュエリーを販売しました。
シャネル自身は宝石に対して「富と権力の象徴」という印象を抱き、宝石が嫌いでした。
そこで、フェイク(コスチュームジュエリー)と本物(ファインジュエリー)を組み合わせた作品を販売。
フェイクパールのネックレスは初期のヒット作品で、シャネルのシンプルな服装にぴったりのジュエリーでした。
階級を超え、あらゆる女性がジュエリーを楽しめるようになったのです。

第二次世界大戦と業界からの引退

時が流れ、第二次世界大戦が勃発すると、パリの本店を除いたすべての店舗を閉鎖。
1940年にはフランスがドイツ軍に占領され、苦しい時代でした。
そんな状況で彼女は、ドイツ軍の諜報員と交際していたのです!
1944年のパリ解放後、スパイ容疑がかけられたシャネルは逮捕されました。
しかし、ほんの数時間で保釈。これには有力な権力者のコネがあったのではとウワサされています。
終戦後、彼女はスパイとして告訴されるのを恐れスイスへ亡命。
こうして、シャネルはファッション業界の表舞台から姿を消したのです。

シャネルが引退した後、ファッションは再び変化。「ニュールック」と呼ばれるデザインが流行しました。
肩からウェストにかけて細くなるデザインと、長いフレアスカートが特徴的です。
クリスチャン・ディオールが発表したシルエットで、世界的なセンセーションを巻き起こしました。
優雅な女性らしさを強調したスタイルは、皮肉にもシャネルが否定したデザインだったのです。
彼女は、いずれ女性がニュールックを否定するだろうと確信していました。
しかし、表立った行動が取れないシャネルは、ファッション業界にほとんど影響を与えることはできませんでした。

ファッション業界への復帰

1954年、シャネルは新商品をひっさげ71歳という年齢で業界に復帰。
店頭で「カムバックコレクション」を開催し、ジャージを使ったダークカラーのシャネルスーツが話題になりました。
直線的で機能性を重視したデザインは、当時流行していたニュールックに真っ向から挑むものだったからです。
その評判はというと、

  • ・時代遅れ
  • ・喪服みたい

など、散々な言われようでした。

しかしこれが、アメリカでは大絶賛。ファッション雑誌である『ライフ誌』は、
「彼女は71歳にしてモード以上のものをもたらした。それはもはや革命である」と評しています。

シャネルは2月5日の復帰に合わせ、新商品の販売を開始しました。
今では高い人気を誇るマトラッセの元になったバッグです。
その名も「シャネル2.55」。製作された日付にちなんで名づけられたこのバッグは瞬く間に人気になりました。
耐久性と実用性を兼ね備えたデザイン、ショルダーチェーンによって両手が自由になることが、女性からの評判に繋がりました。
一時期は過去の遺物とされたシャネル。
戦後、女性の社会進出のおかげで再び評価され、ファッション界のトップに君臨しました。

シャネルの日本進出

シャネルが日本に入ってきたのは1969年と言われています。
この時日本はバブルの時代。高級ブランドの需要が凄まじく、供給が間に合わない状態でした。
そのため、フランスへ行ってアイテムを購入する人や、並行輸入品を法外な値段で取引するバイヤーなどがいました。

シャネルは日本市場をとても重要視していて、スキンケア製品からそれを見ることができます。
アジア市場向けの生産工場を日本に作り、フランスを含む欧米では人気のない美白商品を生産しているのです。
また、過去には化粧品の大幅な値下げを行いました。通常ラグジュアリーブランドは値下げを行いません。
ブランドの価値やイメージに傷がつく可能性があるからです。
シャネルが値下げに踏み切ったのは、若者など新しい顧客を取り込むためでした。
シャネルはブランドイメージを損なわない戦略を取り、見事成功しています。

シャネルが女性に与えた影響

シャネルのブランドコンセプトは「女性の服の解放」と「古い価値観にとらわれない自立した女性像」です。
コンセプトに沿った製品を作ることで、現在シャネルは女性を解放したデザイナーとしても知られています。
しかし彼女は、積極的に女性の権利や解放を訴えたわけではありません。
彼女のファッションが、結果的に女性を解放することに繋がったのです。
シャネルは窮屈だった女性服をどうにかしたいと考え、機能性の高い男性用ファッションを女性用にリデザインしました。
こうして女性は、コルセットからの物理的な解放に加えて、コルセットを通して表現される「女性らしさ」という概念からも解放されました。

「シャネルは女性に自由を与え、サン=ローランは権力を与えた」。

こう表現するのは、イブ・サンローランのパートナーであるピエール・ベルジェ。

シャネルは、非機能的な帽子や顔を隠すためのヴェールを廃止。
貴族階級の証とされていた純白の肌に対抗するかのように、日光浴を流行させました。
ブラックドレスの制作や自身の短髪スタイルを通して、女性の自由を表現したのです。

また、シャネルには自立した女性という印象もあります。
彼女は十分な教育も受けないまま、自力でキャリアを切り開きました。
これは、シャネルの「アリュール」として表現されます(フランス語で「態度」「振る舞い」「気品」の意味)。

シャネルが意識していたのは「何を着るか」ではなく「どのように着るか」でした。
自然体で堂々としていることを基本とし、ファッションだけでなく女性たちのアリュール(心的態度)も変えました。

まとめ

生い立ちや社会情勢にもくじけずに、デザインを通して自らのキャリアを切り開いたココシャネル。
彼女が女性のファッションに与えた影響は計り知れません。
いま何気なく着ているファッションも、彼女の努力があってこその結果かもしれません。
女性のライフスタイルが多様化するにつれ、シャネルはそれにマッチした新しいファッションを発表することでしょう。
今後どのようなデザインが登場するか楽しみです。

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