CELINE(セリーヌ)の歴史

画像右側にセリーヌのロゴと、セリーヌの鞄やアクセサリーの写真が載ったイメージ画像

女性用ファッションブランドとして有名なCELINE(セリーヌ)。
もともとは一組の夫婦が自分の子供のために生み出したブランドです。
2019年にはエディ・スリマンがデザイナーに就任したことで、ブランドの雰囲気が一気に変化しました。
今回はそんなセリーヌの歴史を解説します。

創業

セリーヌの創業は1945年。実業家兼デザイナーのセリーヌ・ヴィピアナと夫のリチャード夫妻が立ち上げたブランドです。
デザイナーを担当している妻の名前からブランド名を取りました。最初は子供用の靴を専門に扱うお店だったそうです。

セリーヌがデザインし、パリの職人が作る靴はあっという間に評判になりました。
パリに住む上流階級から愛用され、子供が大きくなるたびにセリーヌで靴を買うというサイクルが誕生したのです。

シューズで大成功を収めたセリーヌは事業を拡大させ、1948年には新店が3つオープンします。
1965年からは、香水・バッグ・プレタポルテのラインを続けて創設。
売上を順調に伸ばしながらトータルブランドとして成長していったのです。

1960年代というのは、イヴ・サンローランがファッション界を圧倒していた時代。
セリーヌは実用的なデザインで、当時の流行とは逆を行くスタイルでした。
メインラインはスポーツウェアで、そのデザインが再び上流階級から人気を呼んだのです。
こうして、セリーヌは「BCBG」と呼ばれる時代の代名詞になりました。

BCBG

BCBGとは「Bon Chic Bon Genre=フランス上流階級と品の良い暮らし」という意味の言葉です。
頭文字を取ってBCBGと言われています。

パリの高級住宅街に生活し、その暮らしにプライドを持っている人のことを指しています。
この価値観は1960年代に流行し、セリーヌはこの時代の代名詞となりました。

高級感がありながらも実用性を損なっていないデザインが、上流階級から人気だったのです。
セリーヌ=BCBGというイメージになり、階級の低い人からは憧れの的になりました。

これほどまでに人気になったきっかけは、ひとつのアイテムです。
「インカ」というもので、馬具であるくつわ型の金具がついたシューズでした。
セリーヌはこれを皮切りに、馬具にまつわるアイテムを次々に発表し、高い評価を得ます。

しかし、その栄光も長くは続きません。
BCBG時代にセリーヌを愛用していたセレブたちが高年齢化したため、「セリーヌは高齢向けのブランド」というイメージがついたのです。

ファッションに敏感な若者たちは、わざわざそんなブランドのアイテムを買おうとはしません。
こうして、BCBGの衰退とともに業績は悪化していったのです。

LVMHグループによる買収

1987年、LVMHは衰退しつつあるセリーヌに目を付け、買収を行います。
その結果、ナン・ルジェが社長に、マイケル・コースがクリエイティブディレクターに就任します。
彼女と入れ替わるように、創業者のセリーヌが退任。皮肉なことに、ナンが社長になったことで業績は再び回復するのです。

ナンは、ターゲット層をアメリカのキャリアウーマンに変更しました。
デザインの方も、スポーティで実用的というセリーヌの原点へ戻したのです。
これが人気を呼び、経営は軌道に乗ります。その後のセリーヌは、数々のデザイナーによって支えられることになります。

セリーヌを支えたデザイナーたち

LVMHによる買収後のセリーヌは、デザイナーによって復活したと言っても過言ではありません。
ここでは、そんなデザイナーたちを紹介していきます。

1:マイケル・コース

彼は人気アイテムを発表し、セリーヌの復活に大きく貢献した人物です。

2002年には「セリーヌの顔」とも言われたブギー・バッグを、翌年にはパリ・マダカムをリリースしました。
デザイン性だけでなく機能性も兼ね備えたバッグは好評で、キャリアウーマンから高年齢層にまで売れる大ヒット商品となりました。

またマイケルはハリウッド映画の衣装をデザインし、徐々にアメリカのセレブに認知が拡大。
大きな功績を残した彼ですが、2003年にはデザイナーを引退します。

2:フィービー・ファイロ

クロエでデザイナーとして働いていた彼は、2008年からセリーヌに参加します。
ラゲージやトラペーズ、クラシックなどの人気アイテムを次々発表。

その影響力の高さから、2014年には「世界で最も影響力のある100人」に選ばれました。
フィービーのほかには、アレキサンダー・ワンやマーク・ジェイコブスなど、層々たるメンツが並んでいます。

セリーヌの人気は加速しますが、2019年にフィービーは引退。
後任に選ばれたのが、エディ・スリマンでした。

3:エディ・スリマン

彼はサンローランやディオール・オムのディレクターを経験していました。
実力は高かったのですが、セリーヌとエディのデザインはマッチしないだろう、との前評判でした。
そのため、就任当初は肯定的な意見があまりなかったそうです。

エディは就任してすぐに、ブランドのロゴを一新しました。
実は、彼はサンローランの名称変更やディオール・オムの創設など、ブランドの改革を行う人物として有名だったのです。
「前任者の真似はしない」とインタビューでは語っており、独自の路線を突き通しました。

また、彼はメンズコレクションを発表しますが、セリーヌのコレクションというよりは、エディのラインという印象でした。
彼のデザインが色濃く表れており、サンローランのコレクションとも非常に似ていたそうです。

エディの改革によって、セリーヌの印象はがらりと変化。
デザイナーの方針によってブランドの方向性が変化するのが、ファッション業界の運命ですね。

日本進出

セリーヌジャパンの本社は東京南青山にあります。
2014年にリニューアルオープンした表参道店を主軸としてプロモーションを展開中です。
百貨店やセレクトショップでも売られており、比較的手に入れやすいのではないでしょうか。
日本では、芸能人が着用することで度々話題に上るブランドです。

セリーヌには日本企業にまつわる面白いアイテムがあります。
それはなんと自転車。1984年、ブリヂストンがセリーヌに許可を取って自転車を製造、販売したのです。
最上位モデルはたったの限定30台。人気ドラマ「古畑任三郎」で主役を演じる田村正和が乗ったことで知名度が急上昇しました。

現在、セリーヌは日本に30以上の店舗を持ち、オンラインストアでの売上も好調です。

まとめ

セリーヌはもともと子供用のシューズ専門店でした。
それも創業者のセリーヌ夫婦が、自分たちの子供のために開いたブランドです。

それがパリの女性の間で人気となり、セレブの御用達になりました。
そして、BCBGという価値観の代名詞になり、評判はさらに高まりました。

しかし、BCBGの衰退と同時に売上も低迷。
客層が高年齢化したことで、若者はセリーヌから遠ざかりました。

業績が悪化したセリーヌを救ったのはあのLVMHグループ。
買収を行い、経営陣とデザイナーを交代させ売上を上昇させます。
次々とデザイナーが就任し、原点回帰をコンセプトに卓越したデザインのアイテムで成功。
セリーヌは当初の勢いを取り戻していきます。

最近はエディ・スリマンの就任により、新しい印象に変化しました。
今後もデザイナーによって、ブランドの雰囲気はがらりと変わるかもしれません。
劇的な復活を遂げたセリーヌに注目が集まっています。

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