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フェラガモの歴史

フェラガモのシューズが印象的なイメージ画像 ブランド買取に役立つ豆知識の文言を添えて

履きやすい靴を追求するシューズブランド、サルヴァトーレ・フェラガモ。
サンダルなど、現在でも残っているデザインを考案したことで知られています。
実はフェラガモは一度破産したことがあるブランドなのです。
ドン底からどのように復活したのか、今回はフェラガモの歴史を解説します。

創業

創業者、サルヴァトーレ・フェラガモはイタリアで誕生しました。
生まれつき靴に興味があり、なんと11歳で靴を作ったのです!
その後15歳でアメリカへ渡り、足を痛めない靴を作るための修行をします。

そして、1923年にはハリウッドでお店をオープン。
「足にフィットする靴」として、映画関係者から絶大な支持を得ました。
世界中のセレブをも虜にし、「スターの靴職人」という異名があったほどです。

当時、ハリウッドの工房では機械による大量生産が行われていました。
履き心地は他のブランドを圧倒していたのですが、サルヴァトーレは完璧な靴を追い求めるあまり、機械の生産が許せなかったのです。

彼はイタリアで職人を集め、理想の靴を手作業で製作することを決意。
こうして帰国したサルヴァトーレは、1927年に「サルヴァトーレ・フェラガモ」を設立したのです。

イタリアでの挑戦

サルヴァトーレの試みは瞬く間に世界中に広まりました。
上流階級や映画界のスターから注文が殺到。
海外の百貨店バイヤーも、フェラガモの商品を売りたいと表明するほどでした。
イタリアでも歓迎され、順調な滑り出しに見えました。

顧客やバイヤーから受け入れられた一方で、現場での反応は冷たいものでした。
ナポリやミラノなど、イタリアのどの都市へ行っても賛同してくれる職人は見つからなかったのです。

途方に暮れるサルヴァトーレが最後に向かったのはフィレンツェ。ここでようやく彼の思想を理解してくれる人に出会えたのです。
60人以上の職人を好待遇で迎え入れ、なんとか靴作りをスタート。 出来上がったサンプルを早速アメリカへ持っていきます。靴専門のチェーン店、「I・ミラーサンズ」の社長に見せたのですが、そこでの評価は散々なものでした。 くだらない、と一蹴されてしまったのです!

しかし彼は諦めません。 その日のうちに、サックス・フィフス・アベニューのマニュアル・ガートンに電話をし、サンプルを見せに行きます。 ガートンはフェラガモの靴を大変気に入り、数千ドルもの注文を即決しました。 また、マーシャル・フィールド社とも商談が成立。
ミラーから冷たい反応をされた24時間後には、2社との契約が完了していたのです。 困難な状況でめげなかったサルヴァトーレは、なんとか踏みとどまりました。

さらなる困難

この時期には、今もなお履かれている「サンダル」をデザインし、順調に売上を伸ばしていきます。 しかし、ここで予想もできない事態が発生しました。

なんと、カリフォルニアに残した会社が全く営業してなかったのです! 運転資金も底をつきかけ、出資者が激怒。事業の撤退を考えていたほどです。出資者をサルヴァトーレが説得することで、持ちこたえることに成功しました。

ですが、自国のイタリアでも問題が発生。60人ほどいた職人たちの半数が辞めてしまったのです! 残っていた職人も、給料をもらいながら仕事をしないという状況が続いていました。 しかも、サルヴァトーレの考えには反発し、それぞれのやり方に固執する人ばかり。それぞれが全く別の作り方をするので、同じ靴が2度と作れないという事態になっていたのです。 追い詰められたサルヴァトーレは、職人全員を解雇しました。

絶望的な状況でしたが、ここであるアイディアを思いつきます。職人を目指す若者や学生を募集し、工房で働かせたのです。 1足を1人で作らせるのではなく、工程を分担する分業制を採用。その結果、1ヵ月で商品を出荷できる状態にまで復活しました。 諸外国へ輸出を開始しますが、イタリア国内での販売は行いませんでした。 売上のほとんどを輸出に頼ることになります。

フェラガモの破産

結論から言うと、1933年にフェラガモは破産してしまいました。
カリフォルニアで得た利益をフィレンツェに送金しなかったことで、会社の資金繰りが悪化。 さらに、1929年に発生した不況によって、ハリウッドの店舗をタダ同然で売却します。 イタリア国内で販売を行わなかったことで、経営に大打撃を被ったのです。 この時、サルヴァトーレは金融業者から借金をします。個人、家族、ありとあらゆる名義でお金を借りましたが、年利は80%を超える法外なものでした。 債権を行使され、フェラガモは破産してしまったのです。

ドン底からの復活

破産を経験したサルヴァトーレは、これまでの戦略を見直すことにしました。 機械による生産を否定し、手作りにこだわる。 利益を再投資に回し、投資家への配当を行わないなど、彼は靴へのこだわりを優先するあまり、ビジネスの基本原則を無視していたのです。 ビジネスの重要さに気づいた彼は、失敗を糧にしてさっそく行動に移ります。 工場を閉鎖された2日後、過去に靴を販売した婦人を訪れたのです。

彼女に靴を買ってくれるよう頼みこみ、注文を受けます。夫人の口コミで評判が広まり、着々と注文が増加。 数年で事業は回復し、少しづつ国外への輸出を再開しました。 以前の失敗を踏まえて、国内での販売も忘れていません。

破産から5年が経過した1938年には、アメリカやイギリスなどの主要な先進国で売られるようになりました。 イタリアではフィレンツェ以外にも店舗を構え、国内外問わず人気が高まっていたのです。

イタリアのエレナ皇妃やベルギーの王女、さらにはムッソリーニなど、各国の上流階級はフェラガモの虜になっていました。 その理由はフェラガモのフィッティング力です。 完璧にフィットした靴を履くことで足が疲れにくくなる以外にも、精神面の安定や骨格の矯正などさまざまな効果がありました。 フェラガモの靴は「魔法の靴」と言われるようになったのです。

第二次世界大戦中、フェラガモは一時的な閉店に追い込まれます。しかし1950年には、従業員が700人を超え、1日に350足を作れる状態になりました。 ですがサルヴァトーレはこの状態に危機感を抱いていたので、ついに機械生産に手を付けます。 60%は機械による生産で、残りは機械と人による分業で生産を開始。この戦略が成功し、フェラガモの商品はより多くの人に渡るようになりました。

サルヴァトーレの死と後継者

1960年にサルヴァトーレは亡くなりますが、彼は死ぬ前にブランドの今後について考えていたのです。 長女のフィアンマを15歳の頃からアトリエに入れていました。 修行と職人との交流が主な目的。長い間アトリエにいたことで、サルヴァトーレの感性を受け継ぐことに成功しました。

また、次女のジョヴァンナをファッションの専門学校に通わせました。 彼女は1958年にレディースのコレクションを開催。百貨店に専門のコーナーが作られるなど、大成功を収めました。 靴以外の商品も展開し、総合アパレルブランドとして成長するための布石だったのです。 こうした戦略が功を奏し、サルヴァトーレの死後もブランドは拡大していきます。

現在のフェラガモ

1965年、フィアンマによるハンドバッグコレクションが開催。1970年にはメンズシューズとメンズウェアの商品展開も開始されます。 フェラガモを代表する「ヴァラ」は、この時期に誕生しました。 2001年にはフェラガモ・パルファムを設立。翌年、スニーカーラインを新たに設置します。 10年後、イタリア証券取引所で上場を果たし、現在もラグジュアリーブランド業界を生き抜いています。

職人、サルヴァトーレ・フェラガモの人生

サルヴァトーレは、一代にしてブランドを成功に導いた人物です。会社の立ち上げは1927年ですが、それ以前にハリウッドで成功していました。

そんな彼が、はじめて靴を作ったのは9歳の時。妹が教会で洗礼を受けるためのシューズを製作したのです。 家が貧乏だったので、靴を買うことはできませんでした。ですので、向かいの靴屋から道具を借りて両親に内緒で完成させました。

幼い頃から「靴を作りたい」という気持ちがありましたが、両親はそれに反対。 というのも、当時のイタリアでは靴職人とは底辺の職業だったからです。しかし、彼の才能を見た両親は修行を許可しました。

こうしてサルヴァトーレは、向かいの靴屋で修行を開始。気づけば1人で製作を担当するほどに成長していたのです。 兄の説得によりナポリへ行き、有名なショップで修業を行いますが、わずか2週間で学び終えました。 最先端の技術を2週間で学び終えるなど、普通では考えられないことでした。

彼は自らのことを「靴屋になるべくして生まれた人間」と言っていたそうです。生まれた時から靴の製作に関する知識が備わっていたという話もあります。 彼の先祖には靴に関係する人はいないのですが、靴作りの基礎や新しいデザインの源泉がすでに頭にあったそう。 サルヴァトーレが学んだことは、向かいの靴屋(ルイジ・フェスタ)での製作工程を見たことと、ナポリで学んだ2週間だけでした。 10歳の時点でルイジより上手に靴を作ったという話も残ってます。

故郷へ戻ったサルヴァトーレはお店をオープン。都会でも買えないほど洗練されたデザインで、すぐに評判になりました。 彼は村での靴作りに満足していましたが、1日で作れる数に限度がありました。 それを見た兄が、アメリカでの機械生産を勧めます。 こうしてサルヴァトーレは、若干16歳でアメリカへ行くのです。

サンタバーバラへ出店し、あっという間に映画スターから愛用されたのです。 その勢いのままハリウッドへ進出し、サルヴァトーレ・フェラガモの名前はアメリカ中で一躍有名になります。

理想的なフィッティング

フェラガモオリジナルのシューズは履き心地が良いと評判です。これにはサルヴァトーレの情熱や、センスによる部分が大きいと言えます。

彼は靴作りにおいて天才的な能力を発揮しますが、唯一採寸だけが苦手でした。苦手を克服するために、彼は足の研究に取り組みます。 勉強をするために、夜間の大学に通いはじめたのです。 昼間は実際に顧客の足を見て、夜は研究する。こうして、理想のフィッティングは完成したのです。

彼は研究によって、土踏まずに体重がかかることを突き止めました。 土踏まずに支えを付けることで、かかとと親指の付け根にかかっていた体重を分散させることに成功。これにより、歩行中のバランスを適切に維持することにも繋がりました。

サルヴァトーレが作る靴のクオリティはとても高く、ルーマニア皇妃が「つま先が泳いでいるみたい。この自由は誰にも取り上げることはできない」と評価するほどです。 20世紀前半というのは、靴のせいで足が痛むなんてことは日常的に起こっていました。 この時代において、サルヴァトーレの靴は革命的なアイテムでした。

まとめ

フェラガモはイタリアで誕生したブランドです。創業者のサルヴァトーレは、ブランド設立以前にアメリカで成功を収めていました。 彼は靴製作においては天才とも言える人物で、10代という若さで映画界のスターを虜にさせていたのです。

しかし、ビジネスの視点が欠けていたことで経営が悪化し、破産へと追い込まれてしまいます。 ですが、サルヴァトーレが持っている靴への情熱はこの程度では止まりません。 数年で復活を遂げ、国内外で絶大な人気を得るほどになったのです。

また、子供に早くから修行させたり、ファッションの学校へ行かせたりと、先を見た戦略をとっていました。 そのため、現在では総合アパレルブランドとして成功を収めています。

靴の履き心地を追求し、世界中の人を魅了したフェラガモ。 今後も、私たちの足にフィットした靴を作り続けることでしょう。

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